防災科研の歴史

防災科研の60年

防災科学技術研究所(防災科研)は1963年4月、科学技術庁が所管する国立防災科学技術センターとして発足し、2023年で60年を迎えました。戦後最大の風水害といわれる伊勢湾台風(1959年9月)がきっかけで設立されました。防災科研の60年を振り返ります。

※「防災科学技術研究所45年のあゆみ」「防災科学技術研究所60年のあゆみ」などを元に作成

国立防災科学技術センター(銀座)時代

1963 ー 1978

1963年4月、東京・東銀座の通商産業省工業品検査所の建物のワンフロアを借りて業務を開始しました(写真1)。組織の整備と研究体制の確立、大型耐震実験施設・ 大型降雨実験施設・岩槻地殻活動観測施設の整備など、研究所の基礎的骨格がつくられた時期です。

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(写真1)昔の映画に出てくるような蛇腹式扉のついたエレベーターがある、古い建物でした

1963年4月 業務開始

1959年9月の伊勢湾台風では5,000人を超える犠牲者が生じ、国の防災対策は真剣な再検討を迫られました。そのような社会的背景のなか、防災科学技術を総合的に推進する機関を設置するべきだという機運が高まり、防災科研の前身である国立防災科学技術センターが発足し、防災科学技術に関する総合的中枢的機関として機能すべきことが定められました。初代所長は気象庁長官(当時)の和達清夫氏でした。東京・東銀座にあった通商産業省工業品検査所の建物のワンフロアを借りて業務を開始しました。

1964年12月 新潟県長岡市に雪害実験研究所を開設

1969年10月 山形県新庄市に新庄支所を開設

1963年(昭和38年)1月に北陸・山陰で大豪雪があり、228人の死者・行方不明者が発生しました。いわゆる「38豪雪」です。国として雪害対策への研究が必要とされ、長岡市に雪害実験研究所、新庄市に実験や研究を目的とした支所が開設されました。両施設とも現在は雪氷防災研究センターとして、雪氷災害の研究と実験の拠点となっています。

1967年6月 平塚支所を開設

波浪、高潮、津波などの沿岸防災研究の推進のため開設されました。2008年3月に廃止となりました。

1967年2月 松代地震センターを設置

長野県松代で群発地震活動が始まり、気象庁や大学等による観測や調査研究が始まりました。これらの資料を一元的に整理し、関係機関や研究者に広く提供し、共同研究の場を整備することを目的に、気象庁松代地震観測所に松代地震センターが設置されました。

1967年6月 強震観測事業推進連絡会議を設置

強震観測が各機関で進められているなか、全国的な連絡組織が必要となり、強震観測事業推進連絡会議が設置されました

1970年6月 大型耐震実験施設が完成

1974年3月 大型降雨実験施設が完成

実物大に近い模型を用いて実験することの必要性が関係各所から高まりました。大型耐震実験施設は筑波学園都市の建設第1号施設として1968年に着工し、1970年6月に完成しました。大型降雨実験施設は1970年度に着工、1974年3月に完成しました。

1971年11月11日 川崎ローム斜面崩壊実験事故

当研究所など4研究機関の共同により、多摩丘陵にある川崎市生田緑地公園内で斜面崩壊の実験を行っていた際、予想外の規模で崩土の流出が生じ、報道関係者や関係機関の見学者、実験メンバーなど15人が死亡、11人が負傷するという事故が発生しました。野外での実験・調査・作業にあたって大きな教訓を残しました。

1973年3月 岩槻地殻活動観測施設を開設

首都圏の地殻活動の精密な観測を目指し、深井戸を採掘して地震と傾斜の観測を行うことが計画されました。その最初の施設が埼玉県岩槻市に建設されることになり、1973年3月に完成しました。

国立防災科学技術センター(つくば)時代

1978 ー 1990

1978年4月に筑波研究学園都市への移転が完了し、本格的な研究活動をスタートできる空間が確保されました(写真2)。大規模地震対策特別措置法の成立などを受け、地震関係の研究が大きく飛躍した時期です。

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つくば (写真2)1981年当時の上空からの写真

1978年4月 筑波研究学園都市への移転完了

1975年10月に研究本館が完成し、76年3月から移転準備が開始されました。

1978年4月 下総地殻活動観測施設が完成

1980年4月 府中地殻活動観測施設が完成

岩槻地殻活動観測施設が1973年3月に完成していましたが、東京における直下型地震対策を考慮して、少なくとも深井戸観測点だけで震源の決定ができるためには最低限3地点での観測が必要であるため、千葉県沼南町(現柏市)と東京都府中市にそれぞれ観測施設が設けられました。

関東・東海地殻活動観測網の整備

1976年、内閣に地震予知推進本部が設置され、78年には大規模地震対策特別措置法が成立しました。このような動きの中で、当研究所では1978年度から大型の特別研究「関東・東海地域における地殻活動に関する研究」が開始され、78年度から83年度までの6カ年計画で関東・東海地域に高感度地震計と傾斜計からなる地殻活動観測網を展開することになりました。

防災科学技術研究所へ改組

1990-2001

1990年に国立防災科学技術センターから防災科学技術研究所へ改組されました。この時期の前半は地球環境問題への関心が高まり、地球科学的な基礎研究へのシフトが強まりました。首都圏直下の地震対策に関連して地震予知研究がさらに強化された時期でもありました。このような中で1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、地震に対する研究体制の抜本的見直しを迫られ、全国的な地震観測網やE-ディフェンス(実大三次元震動破壊実験施設)の整備が開始されました(写真3)。

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つくば (写真3)E-ディフェンス建設の様子(2001年7月)

1991年度 スーパーコンピュータの導入

1993年度 地表面乱流実験施設での実験開始

地球環境問題のほか、地殻構造の解析、地震動の伝播計算、大量の衛星データの処理などの必要が生じ、スーパーコンピュータが導入されました。 地球温暖化による気候変動の研究のため、大気と水圏・地圏との水・エネルギー交換について実証データを得る必要から、地表面乱流実験施設が1992年8月に完成しました(2008年3月をもって廃止)。

首都圏直下型地震予知のための広域深部観測施設の整備

1991年度から、5項目について着手しました。①3,000m級観測施設の整備 ②2,000m級観測施設の整備 ③ケーブル式海底地震観測施設の整備 ④GPS観測施設の整備 ⑤第2地震予知研究棟の整備

1997年3月 雪氷防災実験棟を開設

雪氷圏に起こる様々な現象を季節に関係なく実験室レベルで再現するための施設として、山形県の新庄雪氷防災研究支所に開設されました。

全国的な地震観測網の整備 E-ディフェンスの建設

1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)により、国の地震災害研究の体制が見直されました。防災科研は、全国的な地震観測網の建設と、それに基づく基礎的な地震調査研究の推進が主要な任務となりました。K-NET(強震観測網)、Hi-net(高感度地震観測網)、KiK-net(基盤強震観測網)、F-net(広帯域地震観測網)が整備され、観測データの収集・処理・提供を行う拠点として、つくばに防災研究データセンター棟が開設されました。 また、阪神・淡路大震災は耐震工学の分野にも大きな影響を与え、建物や構造物がどのように壊れるかを実験的に追求する必要性から、大型三次元震動実験施設(のちの実大三次元震動破壊実験施設:E-ディフェンス)の建設に向け、1995年3月から技術開発に着手しました。

独立行政法人、国立研究開発法人として

2001 ー

省庁の再編に伴い、2001年1月に科学技術庁の所管から文部科学省の所管に移りました。2001年4月には国立試験研究機関から独立行政法人に移行、組織・体制が大幅に変わり、「社会に役立つ研究所」を目指した研究プロジェクト、社会科学的な研究プロジェクトも開始しました。2015年には国立研究開発法人となりました。

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独立行政法人、国立研究開発法人として (写真4)防災科研つくば本所の研究交流棟

E-ディフェンスが完成

2000年1月に建設が開始された大型三次元震動実験施設は名称が「実大三次元震動破壊実験施設」、愛称はE-ディフェンスと決まり、阪神・淡路大震災から10年となる2005年1月15日に披露式が挙行され、3月に完成しました。

地震動予測地図を作成、「地震ハザードステーションJ-SHIS」運用開始

地震調査研究推進本部が1999年4月に策定した「地震調査研究の推進について—地震に関する観測、測量、調査及び研究の推進についての総合的かつ基本的な施策」では4つの主要な課題が列挙され、そのうち地震動予測地図の作成は主要課題に筆頭に掲げられました。防災科研では地震本部の指導の下に、実際に地震動予測地図作成に関する作業を実施、2005年3月に完成し、その後も新たな知見を導入しながら更新され続けています。また、地震動予測地図に関する情報をインターネットで公開する「地震ハザードステーションJ-SHIS」の運用を2005年5月から開始しました。

全国地震動予測地図 全国地震動予測地図(2020年版)のJ-SHISでの表示例

緊急地震速報の実用化

緊急地震速報システムは、防災科研が文部科学省からの委託を受け、気象庁、リアルタイム地震情報利用協議会、日本気象協会と共同で進めた「高度即時的地震情報伝達網実用化プロジェクト」の成果です。2006年8月に気象庁から特定のユーザーに向けた試験的配信が開始、2007年10月からは放送により一般利用も含めた本格運用が始まりました。

XバンドMPレーダ

雨量をより正確に測るため、2000年からXバンドMPレーダを開発して導入、2006年からは防衛大学校、中央大学、日本気象協会と協力して、首都圏において豪雨・強風を500m格子、5分間隔で監視するための「Xバンドレーダネットワーク(X-NET)を構築しました。2008年8月5日、東京都豊島区雑司が谷の下水道工事現場で豪雨により作業員が命を落としました。この際、現場付近のわずか3km程度の範囲に局所的に激しい雨が降ったことがX-NETの観測結果からわかりました。この成果を受けて2009年より国土交通省河川局はゲリラ豪雨の監視を目的として全国にXバンドMPレーダで構成されるXRAINというネットワークを整備、防災科研から技術移転した降雨強度推定アルゴリズムが反映されています。

基盤的火山観測網(V-net)の整備

国立大学の法人化等により、火山の観測施設等の維持管理が困難になり、火山観測研究に携わる人材確保も難しくなってきました。そのような背景のもと、2008年12月、科学技術・学術審議会地学分科会火山部会は「今後の大学等における火山観測研究の当面の進め方について」を取りまとめ、防災科研が従前から観測対象としていた5火山に11火山を加えた計16火山が「重点的に強化すべき火山」に指定されました。防災科研は2009年から、この16火山を対象とする基盤的火山観測網(V-net)の整備を開始しました。

災害リスク情報プラットフォーム

政府の長期的戦略指針「イノベーション25」を受けて、2008年度から災害リスク情報プラットフォームのプロジェクトが始まりました。地震、津波、火山、台風、地すべり、豪雪等の各種自然災害に関する情報を集約し、インターネット上で利用可能な地理情報システム(WebGIS)に関する技術の活用などにより、被害軽減や防災教育に役立てることを目的としました。このプロジェクトで培われた「e-コミュニティプラットフォーム」はその後の東日本大震災や常総市の水害において活用され、のちのISUT(災害時情報集約支援チーム)の活動に結実することとなりました。

東日本大震災を受けた、S-net(日本海溝海底地震津波観測網)の整備

2011年3月11日の東日本大震災を機に、文部科学省では日本海溝を対象としたケーブル式の海底地震・津波観測網の整備と津波即時予測技術の開発について検討を開始しました。防災科研が観測網を担うこととなり、S-netの整備を開始、千葉県房総沖から日本海溝に沿って北海道沖の千島海溝南西部までの領域をカバーする観測網として、2017年3月に完成しました。

観測装置 S-netの観測装置

東日本大震災を受けた、E-ディフェンスの改良・強化

東日本大震災では180秒の地震動(長時間・長周期)があったことから、長周期の揺れを再現可能とする改修・強化を実施しました。

「新庄支所」から「新庄雪氷環境実験所」へ

2013年4月、これまでの雪氷防災研究センター新庄支所の降雪実験関連施設は「新庄雪氷環境実験所」となりました。

SIP第1期と「レジリエント防災・減災研究推進センター」

2014年、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)が「科学技術イノベーション総合戦略」及び「日本再興戦略」に基づき、「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」を創設しました。CSTIが司令塔として、府省間連携のもと、国民にとって真に必要な社会的課題や、我が国の経済再生に寄与できるような世界を先導する課題について、研究開発から社会実装の実現までの取組を一体的に支援するもの、とされました。対象となる3分野・10課題の1つ、「レジリエントな防災・減災機能の強化」(管理法人:科学技術振興機構)では、防災科研が提案した「津波予測技術開発プロジェクト」「情報共有システムプロジェクト」「リアルタイム被害推定開発プロジェクト」の3つが採択され、更に情報通信研究機構(NICT)が提案した「豪雨・竜巻予測技術開発プロジェクト」に防災科研は参画機関として加わることとなりました。従来の研究領域を横断するものであることから、2014年11月に防災科研に新たな研究組織「レジリエント防災・減災研究推進センター」を設置しました

気象災害軽減イノベーションセンター

2015年4月に「国立研究開発法人」になったことを受け、研究開発法人を中核としたイノベーションハブ構想が議論されるようになり、文部科学省内の各法人においてそれぞれハブ構想に関する検討が進められました。防災科研では、2014年2月に発生した関東地方を中心とした大雪を受けて、まずは雪氷防災分野の機能強化が検討され、のちに気象災害分野の機能強化に関する案と統合され、気象災害軽減イノベーションハブ構想の原案がつくられました。その後、2015年度にJST(科学技術振興機構)の「イノベーションハブ構築支援事業」として予算計上、2015年7月に「攻め」の防災に向けた気象災害の能動的軽減を実現するイノベーションハブ」がFS(Feasibility Study)採択、2016年4月に気象災害軽減イノベーションセンターが設立されました。

熊本地震(2016年)等の災害への対応

2016年の熊本地震、2017年の平成29年7月九州北部豪雨、2018年の平成30年7月豪雨(西日本豪雨)、2019年の令和元年房総半島台風、令和元年東日本台風などは、情報プロダクツを活用した災害対応に関する実証実験が進展する契機となりました。熊本地震は防災科研として初めて全所的に災害対応に取り組む機会となり、のべ約800人の事務系職員と研究系職員が現地に入り、災害情報の共有や発信に関する研究開発成果の活用に従事、「府省庁連携防災情報共有システム(SIP4D)」や「防災科学技術研究所クライシスレスポンスサイト(NIEDCRS)」を通じて、自らが行った観測、解析、評価、調査情報や、外部機関から発信された情報、被災地で発行された情報を一元的に集約し、災害対応機関の状況認識統一を支援しました。更に、被災者のための被害認定、罹災証明書の発行、被災者台帳の作成、および総合的な生活再建支援業務をサポートしました。

支援 熊本地震では様々な機関へ災害情報を共有し、対応活動を支援

首都圏レジリエンス研究センター

2017年4月から、文部科学省の補助事業である「データプラットフォーム拠点形成事業(防災分野)~首都圏を中心としたレジリエンス総合力向上プロジェクト~」が開始されたことを受けて、「首都圏レジリエンス研究センター」を設置しました。本プロジェクトの開始に伴い、首都圏地震観測網(MeSO-net)が東京大学地震研究所から防災科研に移管されることとなりました。

SIP第2期と「国家レジリエンス研究推進センター」

2018年度から開始された内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」第2期の課題の一つ「国家レジリエンス(防災・減災)の強化」において、防災科研は管理法人を担うことになり、プログラムディレクターの活動支援と研究開発の円滑な推進を担う「戦略的イノベーション推進室」を新設しました。また、本課題の7つの研究開発項目のうち、5つの研究開発項目において防災科研は研究開発機関や共同研究開発機関となり、これらの活動を総合的に推進するため、「国家レジリエンス研究推進センター」を設置しました(2022年度まで)。

災害時情報集約支援チームISUT

災害時情報集約支援チーム「ISUT」(Information Support Team)は、災害時に現地入りし、現地災害対策本部での情報集約、および関係機関限定での情報共有を行う内閣府・防災科研・企業による官民チームです。この仕組みは内閣府、国と地方・民間の「災害情報ハブ」推進チームにおいて検討され、2018年4月から試行が開始、2018年に発生した大阪北部の地震、西日本豪雨などでの活動を経て、2019年4月から本格運用を開始しました。2020年5月31日付で防災基本計画に防災科研がISUTの構成員として「災害情報を集約・整理して地図で提供する」ことが明記されました。

N-net(南海トラフ海底地震津波観測網)

2016年11月に地震調査研究推進本部が策定した「地震調査研究における今後の海域観測の方針について」では、海域における定常的な観測網の整備をより戦略的に進める必要性が指摘され、2年間にわたって「南海トラフの西側(高知県沖から日向灘)の海域における次期ケーブル式海底地震・津波観測システム」の検討が進められ、2018年に報告書が取りまとめられました。これを受けて2019年度から南海トラフ海底地震津波観測網(N-net)の整備が開始されました。N-netは2024年度末の完成を予定しています。

イノベーション共創本部と出資法人の設立

防災科学技術の研究成果の最大化に向けて、第4期中長期目標・計画期間においては、産学官民の連携に基づき社会ニーズを踏まえた研究により社会変革をもたらす成果を生み、社会への還元と新たなニーズ創出に繋げる好循環を生み出す仕組み作りを行いました。2020年7月に「イノベーション共創本部」を設置し、研究開発をProduct-outからMarket-inに転換を図っています。2021年4月に「科学技術・イノベーション活性化に関する法律」が改正され、防災科研の研究開発成果を事業活動において活用し、又は活用しようとする者(成果活用事業者)を対象とする出資が可能となったため、2021年11月に外部法人である「I-レジリエンス株式会社」を民間企業4社との共同出資により設立しました。